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おもためコラム

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くふうの話(2)

十九才の春、織田信長の家来となった木下藤吉郎(のちの太閤秀吉)が、最初に与えられた仕事は信長の草履取り(ぞうりとり)。つまり信長の履物係でした。

その頃、信長は毎朝起きぬけに馬の早駆け(はやがけ)をする習慣がありました。今でいえば早朝のラジオ体操のようなもので、馬に乗ってしばらく走らせます。当然のことながら、信長の草履取りとなった藤吉郎は信長より早く起きて履物の用意をして待っていなければなりません。厳冬の凍てつく早朝、庭に平伏をして殿様が出て来るのを待っているのですから、その寒さはひととおりではありません。ですから藤吉郎より前に草履取りをつとめた人達は「アヽ、寒いな、つらいな、くるしいなァ」と、皆グチばかりこぼして殿様の出て来るのを待っていました。

ところが藤吉郎は以前の人達と考え方がちがいました。「アヽ、寒いな」までは以前の人達と同じですが、次が違います。「ふだん優雅な生活をおくっている殿様だから、外へ出たら俺より何倍も寒さを感じるにちがいない。そうだ、殿様のこの履物が温かかったなら、どれだけ殿様がたすかることであろうか。考えてみれば、草履取りの仕事というのは、ただ履物を用意しておくだけではなく、はいてくださる人が、いかに快適に気持ちよくはくことが出来るか。そこまで考えて準備をするのが本当の草履取りの仕事ではなかろうか」と思ったのでした。
そこで藤吉郎は庭で待っている間、殿様の草履を自分のフトコロの中へ入れて温めておりました。やがて出て来て、その草履をはいた信長はびっくりしました。いつもの氷のような冷たい草履だとばっかり思っていたのが、今朝の草履はぬくもりがあって気持ちが良い。感心をした信長は「ウーム、この藤吉郎という男はえらい奴だ。しっかりと履く者のことを考えて仕事をしているわい。草履取りにしておくのはもったいない。もう少し責任の大きい仕事をさせてみよう」と考えたのでした。

こうして藤吉郎は何の仕事を与えられても、常に工夫をすることを忘れませんでしたから、より質の高い仕事をする事が出来たのでした。将来、立派になる人は若い頃から常に工夫をかさねて生きている様です。又次回…。

神田松鯉(かんだしょうり)プロフィール
講談師
本名:渡辺孝夫(わたなべたかお)
出身地:群馬県前橋市
現住所:東京都板橋区
生年月日:昭和17年9月28日
芸歴:
 昭和45年 2代目神田山陽に入門 前座名陽之介
 昭和48年 二ツ目に昇進 神田小山陽と改名
 昭和52年 真打に昇進
 平成4年 3代目神田松鯉を襲名
得意ネタ:赤穂義士伝 徳川天一坊 ビジネス講談
出囃子:神田祭
受賞:
 昭和52年放送演芸大賞ホープ賞受賞
 昭和63年文化庁芸術祭賞受賞
著書:「善悪リーダー心得帖 - 神田松鯉ビジネス講談集」経営書院刊
趣味:ゴルフ・篠笛
社団法人落語芸術協会
http://www.rakugo-geikyo.or.jp/
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