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おもためコラム

おもしろくて、ためになるコラムをお届けします。

くふうの話(3)

皆さんは学生時代に歴史の時間で『鉄砲の伝来』という事を習ったと思います。1543年、日本に初めて種子島に渡来した火縄銃でした。当時、戦国大名たちはこぞってこの火縄銃に注目しました。というのは、それまでは考えられなかった遠く離れた敵をやっつける事が出来る武器だったからです。

そこで各大名たちは競ってこの火縄銃を手に入れました。ところが、実際に使用してみると、思ったほど役に立ちません。なぜかというと、一発撃つと、二発目を撃つまでにかなりの時間が掛かるのです。それは一発撃つたびに銃身の筒そうじをしなければならず、その後に弾込めをして、火薬を火皿にのせ、そして火縄をセットして、ゆっくりゆっくり引きがねをひくという手順が必要だったのです。一発撃つたびに、そんな時間がかかるのですから、その間に敵がおどり込んで来てしまいます。そうなったら、あとは接近戦ですから旧来の刀や槍で戦うよりほかありません。

従って大名達は皆、この火縄銃がもっと早く二発目、三発目が連発銃のように発射できればいいと思ったのですが、残念ながら当時の技術では火縄銃を連続銃に改造することは出来ませんでした。そこで大名たちは、火縄銃とはこういうふうに手間のかかるものなのだから仕方がない…と、ただ現実をうのみにして連発銃への改造はあきらめました。

処が織田信長という大名は只一人あきらめませんでした。銃の改造は出来ないが、連発銃のように次々に発射する方法はないものかと考えました。そこでひらめいたのは「そうだッ、鉄砲の玉の連発が不可能ならば、射撃手を連発すれば同じ効果が出る」と考えたのです。鉄砲隊を何組かに分けて、組ごとに次々にくり出すという方法でした。

一番組が一斉射撃をするとすぐに後ろへ下がる。続いて後へひかえていた二番組が前へ出て撃つと又すぐに後へ下がる。続いて三番組が前へ出て撃ち終わるころには、最初の一番組がすでに発射準備が出来上がっているから、前へ出て撃つ。そして又下がる。この繰り返しでまるで連発銃のように次々と弾丸が発射出来ることになりました。こうして、有名な「長篠の合戦」で信長は大勝利をおさめる事が出来たのです。

これは発想の転換の勝利でした。美事な工夫ではないでしょうか。仕事でも私生活でも、行き詰ったりした時には、こうして発想の転換をしてみることによって、新しい工夫が出来ることもあります。又次回…。

神田松鯉(かんだしょうり)プロフィール
講談師
本名:渡辺孝夫(わたなべたかお)
出身地:群馬県前橋市
現住所:東京都板橋区
生年月日:昭和17年9月28日
芸歴:
 昭和45年 2代目神田山陽に入門 前座名陽之介
 昭和48年 二ツ目に昇進 神田小山陽と改名
 昭和52年 真打に昇進
 平成4年 3代目神田松鯉を襲名
得意ネタ:赤穂義士伝 徳川天一坊 ビジネス講談
出囃子:神田祭
受賞:
 昭和52年放送演芸大賞ホープ賞受賞
 昭和63年文化庁芸術祭賞受賞
著書:「善悪リーダー心得帖 - 神田松鯉ビジネス講談集」経営書院刊
趣味:ゴルフ・篠笛
社団法人落語芸術協会
http://www.rakugo-geikyo.or.jp/
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