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おもためコラム

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がんと美容 〜たかが髪の毛、されど髪の毛〜

まさか自分が…

2006年の春だった。テレビのCMで「働き盛りは乳がん年齢」と流れていたのをボーッと見ながら、「働き盛りといえば私の年齢じゃん」と何気に自分の乳房に手をあててみると、なんと右胸に1円玉大のしこりがあるではないか。翌日、慌てて近所の乳腺外科に飛び込む。医師は私の右胸を触診するなり、いとも簡単にがん告知をしてきた。ドラマで見るがん告知のような深刻な雰囲気はなかったが、まさに晴天の霹靂(へきれき)だった。

私ががんに罹患(りかん)?がんって年配の人がなるものでしょ?乳がんってオッパイの大きい人がなるんでしょ?私は貧乳なのになぜ?・・と色々な思いが脳裏を巡った。ともかく痛くもかゆくもないが体内に巣食うがん細胞を早く取り出してしまいたくて、早急に手術をお願いした。私は一人で美容院を経営していたので、病気の事より店を何日間、休業しなくてはならないかばかりが気になった。術後1か月もリハビリすれば、仕事に戻れるだろう。いや、意地でも戻るぞ!店のシャッターに1か月の休業の張り紙をして手術に臨んだ。だが、そう簡単に事は済まなかった。がん細胞のできた位置が悪く、右胸は全摘となり、リンパ郭清(※)もした為に、術後は右手が上げられなくなった。おまけに病理の結果でリンパ転移が判明し、術後に半年間の抗がん剤治療をすることになった。

抗がん剤の副作用

抗がん剤というのは、様々な副作用がある。吐き気、脱毛、しびれ、倦怠(けんたい)感等々、がん細胞だけでなく正常な細胞まで攻撃されてしまうのだから、患者の苦しみは相当なものである。抗がん剤投与をしながらも、仕事を続ける人もいるが、私の場合は、布団から起き上がれず寝たきり状態で、とても仕事をする気力はなく、泣く泣く1か月の休業を半年間の休業に書き換え治療に専念した。

抗がん剤の副作用で一番辛いのは、私にとっては「脱毛」だった。私だけでなく、ほとんどの女性患者なら同じ答えだろう。美容師である私は、髪には人一倍気を使っていた。長くてサラサラの髪は自慢だった。それが投与後、2週間でツルツルのハゲ頭になってしまった。まゆ毛も、まつ毛もあらゆる体毛がすべて抜け落ちて、鏡の中の異様な自分の姿を見ては情けなくて毎日泣いて過ごした。「髪は女の命」とはよくいったもので、髪を失ったのは命をなくしたのも同然だった。片胸を失い、髪を失い死んでしまいたいと何度も思った。

抗がん剤投与期間は、たいていの患者は鬱(うつ)状態になる。私も、鬱病になり精神内科に何度か通った。だが、抗がん剤を終える頃には、右手もだんだんと上がるようになり、体調も戻ってくると生きる気力が湧いてきた。まだハゲ頭の状態だったので、カツラを被って仕事に復帰した。お客さんの髪を切るたびに、「切るだけの髪があって羨ましいな。私のハゲ頭はいつ元に戻るのかな」とため息をついていたものだ。それから2か月もするとウブ毛のような髪の毛が生え始めた。

通常、髪は1か月に1センチ伸びるが、抗がん剤終了後の髪の毛の伸び方は遅い。特に頭頂部や前髪は遅く、おまけに8割の人がコイル状のクルクルしたクセ毛で生えてくる。このまま伸び続けたとしても、今後はどう処理したらいいのだろう?美容師の友人に相談しようか?いやいや、友人にこんな変な髪の毛を見せるのは嫌だ。でも、知り合いでもない美容師に見せるのはもっと嫌だ。抗がん剤を経験した美容師がどこかにいないかな。今の私の状態をみても驚かないで、助言をくれる美容師っていないかなとネットで検索したが見つからなかった。2人に1人はがんで亡くなる時代だというのに抗がん剤の副作用である「脱毛」についての情報はほとんど見当たらなかった。で、ハタと気がついた。あれ?私自身が「抗がん剤体験をした美容師」ではないか?私に助言をくれる、抗がん剤体験をした美容師はみつからないけど、私は、自分の脱毛経験を生かして抗がん剤治療で苦しむ他の患者さん達の髪の毛の相談にのってあげられるではないか。

これからの理容師・美容師の役割として

患者は、脱毛する時よりも、髪の毛が再生してきた時の方が困惑する事項が多い。脱毛前の自分の髪質とは違う髪の毛が生えてくるのだから、このまま伸ばしていってもよいものか、切るべきか、またカツラとサヨナラできる日はいつ来るのだろうかと悶々と悩む。でも、今までの行きつけの美容師に相談するのは恥ずかしくて勇気が要る。自分の身近に、抗がん剤体験をした美容師がいたら患者はどんなに心強いだろう。脱毛前のカツラを購入する相談や、脱毛時の頭皮のケア、髪の毛が生えてきてからカツラをはずす時期の相談など、抗がん剤を体験した理・美容師だからこそわかること、できることがたくさんあるのだ。いくら主治医だって、患者の髪の毛の治療まではできない。結局、私は自分の髪は自分で処理して抗がん剤終了後、半年くらいでカツラ生活を終えた。その後、私と同じく抗がん剤を経験した理・美容師をネットで募り、この活動を「ヘアレスキュー」と名付けた。賛同してくれた理・美容師は、2年間で全国に9名集まった。

現在、私の美容室には、都内はもちろん、他県から、新幹線や飛行機を乗りついで多くのがん患者さん達が髪の毛の相談に訪れる。これから抗がん剤を投与する患者さん、抗がん剤投与が終わった患者さんがほとんどだが、中には脱毛が嫌で抗がん剤治療を拒否している患者さんの家族から、相談を受けることもある。余命いくばくもない患者さんの家族から、病床でカットをしてほしいと遠方まで出張美容を頼まれることもある。抗がん剤治療を要する髪の毛の相談には近所の行きつけの美容室には行けないという切羽詰った思いの患者さん達が全国には多くいるのだ。私は、がん患者のための特別な施術をしているわけではない。いつものようにカットやカラーをしながら、抗がん剤の辛かった体験を患者さんと思い出話しのように語り合うだけだ。語り合ううちにお互い、同じ苦しみや悲しみを共有した戦友のような気持ちになる。

がんという病気は、一度、罹患してしまったら、今後も常に「再発・転移」という不安がつきまとう。でも、戦っている仲間が他にもいる、苦しいのは自分ひとりではないとわかると、不思議とパワーが湧いてくる。私は、患者さん達にパワーを与える。そして私も彼女達からパワーをもらう。そこが「抗がん剤体験をした理・美容師しかできない施術」の一番、大切なところだと思う。自分ががん患者であり、抗がん剤で脱毛経験があるということを世間に公言できる人は、少ない。

人は皆、家族や職場、多くのしがらみの中で生活しているから病気のことは伏せておいた方が都合のよいことのほうが多い。だから、抗がん剤体験をした理・美容師もなかなか集まらないのが現状だが、私は今後もこの活動に賛同してくれる理・美容師を増やすことに9名の「ヘアレスキュー」の仲間と精一杯、取り組んでいきたいと思う。たかが髪の毛、されど髪の毛なのである。

※リンパ郭清…がん周辺の脂肪組織ごとリンパ節を取り除くこと。リンパ郭清を行ったことによって、腕のむくみ、神経障害によるしびれといった症状が出る。
谷津しのぶ(やつしのぶ)プロフィール
1962年東京生まれ
明治大学卒業後、半導体商社に就職。退職後、山野美容芸術短期大学に入学し美容師免許を取得。1998年に美容室を開業、また母校においても教鞭とるが、2006年に乳がんの診断を受け休業。全摘出と抗がん剤治療の後、2007年より完全予約制にて美容室を再開。
現在、がんを経験した理容師、美容師によるがん患者のための活動を行っている。
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